グルメ・観光案内

倉敷教会の史跡めぐり

 

(印刷して倉敷散策にご利用下さい)

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倉敷教会史跡めぐりマップ

①禁酒倉跡地
林源十郎(Ⅰ)が酒やタバコを節制したつもりで貯めたお金を献金し、会堂建築後の1923〜1924年に会堂の北西角に建てられました。「花の日」の花瓶などを収めていたが、キリスト会館建設(1970.9.11)のため解体されました。

②蘇翁竹中記念館(通称;竹中会館)
竹中幼稚園創立45周年事業として1967.10.01竣工。竹中みつ園長旧宅の処分金約1,000万円を基に、会堂の隣接地に園長の居宅(二階建て)として建設。旧宅はもともと林源十郎翁が竹中みつ園長に差し上げた土地建物であり、みつ園長の意向、翁の幼名蘇太郎の一字を冠し名付けられました。

③牧師館跡地
④青年会館跡地
会堂の付属建物として1923.05.20(大正12)田崎健作牧師の就任と時を同じくして牧師館を建築。青年会館は牧師館より7年後の1930年(昭和5)に創立25周年記念事業として、また青年会活動の拠点として建てられました。青年会はかねてより資金1万円を募り、会堂前に西村伊作設計による建坪58坪のモダンな木造洋館を建設しました。一教会の青年会が会館を建てるということは我が国において初めてで、おそらく唯一のものだったでしょう。キリスト会館建設(1970.09.11)のために売却されました。なお、この土地は先代林源十郎が退職後堂守をと考えて取得したもので、後日教会に寄贈されました。

⑤教会墓地(鶴形山)
教会墓地は鶴形山裏登山口より少し登った左側にあり、川越靖雄(最初の定住伝道師・川越義雄の次男)等の墓石があります。また、早島にも創立75周年事業として1979.12に早島墓地公園内の6区画を取得しました。後に竹中幼稚園より1区画寄贈され、合計7区画27.5坪となっています。早島に教会墓地を取得したことにより、鶴形山の教会墓地にあった竹中悦蔵、杉田譲二両牧師の墓石は同敷地内に移転しました。1983.07に教会創立77周年記念聖日、納骨堂が完成しました。

⑦鶴形山の祈りの石
祈りの石とは、倉敷教会創立者の一人である浅野義八翁が40数年、数名の人たちと一緒に祈ったところにあった石のことです。その石のあった「祈りの場所」は、当時の倉敷町の中心にある鶴形山山頂近く、阿智神社の背後を少し下がった樹間にありました。現在、この石のあった付近は「阿智の藤」として藤棚が整備されています。

⑫日曜学校開校跡地
1904年(明治37)5月8日、尾野田伊之吉氏によって本町の坂部医院(現・ギャラリーたけのこ村)の裏の離れ座敷で最初の日曜学校が始められました。

⑯幼稚園開園の地
1922年(大正11)9月1日、竹中悦蔵牧師、杉田譲二牧師の死を記念して、新川の仮会堂(現・亀遊亭;記念碑あり)に竹中みつ先生(竹中牧師夫人であり杉田牧師妹)によって設立されました。最初は旭幼稚園と称し、園児15名、教師3名でした。翌年3月19日に現会堂建築に伴い、会堂一階に移転し竹中幼稚園と改称しました。多くの外国製の幼児教材が揃えられ、開園より現在に至るまで教師と子どもたちとの人格的なふれあいの中で「キリスト教を信仰の土台とする人格形成」を目指す教育がなされています。

⑳平和教会跡地
1927年(昭和2)救世軍倉敷小隊として中国連隊長一柳少佐他2名により伝道が開始されました。1941年日本基督教団設立に伴い倉敷平和教会と改称し、阿智一丁目の林源十郎別邸(現フコク生命ビル隣地の倉庫)を基盤として、初代小沼邁牧師により伝道されました(当時の会員は約20名)。1955年渡辺永一兄より船倉の自宅(現・清水宏氏宅)が捧げられて移転。1977年より無牧となり、1981年信徒22名全員が倉敷教会に転会する形で解散。会堂は「倉敷友の会」に譲渡されました。